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フランク・ロイド・ライトの生い立ち

私たちが、シカゴのライトの作品をめぐる旅をし、ライトの財団で

販売している積み木や、ライトのお母様の肖像画も興味深く見てきました。

ライトの生い立ちを語るのに欠かせないものでした。

 

フランク・ロイド・ライトは、1867年(明治元年)6月8日、アメリカの

ウィスコンシン州のリッチランドセンターで生まれました。

 

ライトの母、アンナ・ロイド・ライトは息子のライトを建築家にすることを

強く望み、ライト自身も自然に建築家を志すようになります。

7歳の時に与えられた『フレーベルのギフト(積み木)』はライトの建築に

大きな影響を与えたと、ライト自身も語っています。

 

また、母アンナはウィスコンシンの美しい自然の中で、植物の持つ構造や

自然が作り出すデザインの美しさを繰り返し教えました。

 

ライトが建築家としてのキャリアをスタートさせてのは、20歳の時、ジョセフ・ライマン

シルスビーの事務所でした。ほどなくライトはアドラー&サリヴァン事務所に移りますが

5年間住宅の設計をまかされた後、1893年に独立します。

 

独立後の最初の仕事がウィンズロー邸であり、弱冠26歳でエポックメイキングな作品を、

世に送りだすこととなりました。ライトはそれまでの住宅を「光と空気を取り入れるための

穴が開けられた箱」と述べ、まったく新しい考え方である『有機的建築』に基づいた住宅を

生み出しましたが、それは母の教えで自然から学んだものを、ライトが建築の世界で昇華

させたものと言えます。

デビュー作ウィンズロー邸が、ライトの「第一黄金期」のスタートを飾る作品ともなり、

その後数々の傑作を世に送り出し、確固たる地位を築いていくことになりますが、ライトの

生涯が常に順風満舗だったわけではありませんでした。

 

1910年から1935年には、世界的な経済恐慌などの理由から、ほとんど依頼のないじだいも

続きます。ライトは25年間にも渡る忍従の時代の間、決して建築をあきらめず、設計活動を

続け膨大な数の図面、プロジェクトを遺しています。

残念ながら実現したものは少ないのですが、この時代に蓄積したアイデアがその後の

「第二黄金期」につながっています。日本で帝国ホテルを建築したのもこの時期に

なります。

 

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